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18.愛宕神社

愛宕神社
愛宕神社

忠魂碑

愛宕神社

金比羅山大権現碑

愛宕神社

石碑群

厄祓いぼんでんが受け継がれるお社

創立は慶安元年(1648)とも、享保11年(1726)とも伝わります。御祭神は火産霊神(ほむすびのかみ)。昔は祭りの日には境内に相撲小屋が立ち多くの見物客で賑わったそうです。例祭日は8月21日、小正月行事の梵天祭は1月第4日曜日です。ぼんでんは以前は各町内や近郷からもあがりましたが、現在は町内の42歳厄祓い梵天と角間川野球チームのブレーブス梵天が奉納され、地域の伝統行事を守っています。

火産霊神

ほむすびのかみ。火の神であることから、火伏せ、防火、防災の神として信仰されています。また、火が全てのものを浄化することから、祓いの神、清めの神としても信仰されています。さらに、火を扱う鍛冶や陶芸などの産業を守護する神としても信仰されています。

ぼんでん

ぼんでん、は秋田県内に残る小正月行事のひとつです。角間川では、数え年で42歳の厄年を迎える男衆が集まって、その年代のぼんでんを作製し、1月第4日曜日にぼんでんを奉納します。令和7年現在、角間川や藤木、大曲では、このように厄年の男衆がぼんでん行事を担う形になっています。町内を練り歩く際には「ぼんでん唄」を唄います。ぼんでん唄の節回しは、お隣の横手とは異なっています。愛宕神社拝殿に奉納する時には、拝殿内に待ち構える受け手連中ともみ合いになる勇壮な奉納行事の様子が見物できます。

金比羅山大権現

大きな石碑で「金比羅山大権現 甲子五月」と刻まれています。大権現と刻まれた右側にも元号が刻まれていたと思われますが、表面の右半分は大きく欠けたかしていて判然としません。ただ見事な三角形のの形状は保たれています。愛宕神社も雄物川の大川橋に近いので、金比羅山大権現を崇敬する講中で建立したものと思われます。 河港跡にある石碑は明治5年(1872)なので、その近辺とすればこちらの「甲子5月」は元治元年(1864)を指すかと思われます。

庚申塔

表面に大きく力強い書体で「庚申」と刻まれた、大きな長方形の庚申塔です。右側面に「寛政七年(1795)…」と、左側面に「郷中安全」と刻まれています。庚申信仰(こうしんしんこう)は、中国の道教思想を起源とし、日本で仏教や神道、民間信仰と習合して広まった信仰です。60日ごとに巡ってくる干支の庚申(かのえさる)の日に、体内にいるとされる三尸(さんし)の虫が天に昇って天帝に悪事を報告し、寿命を縮めると考えられていました。そのため、庚申の夜は眠らずに過ごす「庚申待ち」が行われ、集まって語り明かしたり、飲食を共にしたりする風習が生まれました。各所に残る庚申塚は、この庚申講を記念して建てられたものです。

庚申塔

表面に大きく力強い書体で「庚申」と刻まれた、大きな長方形の庚申塔です。右側面に「寛政七年(1795)…」と、左側面に「郷中安全」と刻まれています。庚申信仰(こうしんしんこう)は、中国の道教思想を起源とし、日本で仏教や神道、民間信仰と習合して広まった信仰です。60日ごとに巡ってくる干支の庚申(かのえさる)の日に、体内にいるとされる三尸(さんし)の虫が天に昇って天帝に悪事を報告し、寿命を縮めると考えられていました。そのため、庚申の夜は眠らずに過ごす「庚申待ち」が行われ、集まって語り明かしたり、飲食を共にしたりする風習が生まれました。各所に残る庚申塚は、この庚申講を記念して建てられたものです。

石碑群

忠魂碑(大正期に在郷軍人会が建てた)、金毘羅大権現(甲子5月とあり、元治元年(1864)か)、庚申塚(寛政7年(1795)とあり、)、猿田彦大神(明治36年と刻まれている、猿田彦は庚申信仰と関係あり、庚申様とされるのは仏教では青面金剛、神道では猿田彦大神)、林鹿碑(筝曲の関係らしい)、活花社中(明治29年)

参考文献 図書

  • 大曲市昔を語る会連絡協議会『大曲市の歴史散歩』大曲市・大曲市昔を語る会連絡協議会、1977年、pp.100-119。

参考文献 新聞記事・ウェブページ

愛宕神社の場所