株式会社角間川

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14.宝亀山喜福院

宝亀山喜福院
宝亀山喜福院

嘉暦板碑1

宝亀山喜福院

嘉暦板碑2

宝亀山喜福院

五輪塔二十三夜塔

多くの角間川給人の菩提寺

真言宗智山派の寺院。御本尊は不動明王。喜福院宥雅上人が慶長2年(1597)に開山し草創、そののち空在上人が慶長7年(1602)に開基として寺院を確立したようです。

真言宗はこの地の豪族だった小野寺氏の信仰が篤く、多くがその旧臣であった角間川給人の菩提寺となっています。喜福院は町内を3度移転しており、最初は浄蓮寺や長應寺の東方にあり、今でも浄蓮寺の墓地に隣接して喜福院の墓所が残っています(国学者・落合東提の墓所があります)。後に火災により今の内町八幡神社の東側の地に移ったと伝わりますが、旧横手川の川欠けにより再度移転、喜福院の屋敷があった現在の場所(大浦町)に移ったそうです。八幡神社の後方東側にも喜福院の墓所があります。地獄絵図や、鎌倉末期の「嘉暦板碑」があります。入り口脇に五輪塔、二十三夜塔などがあります。

嘉暦板碑(かりゃくいたび)

鎌倉時代末期のもので大仙市指定文化財です。画像碑(がぞうひ)ともいいます。板碑とは、主に供養塔として用いられる石碑の一種です。この板碑は昭和48年(1973)に喜福院墓所の入口で発掘されたものです。阿弥陀如来の線刻は技術も洗練されて美しい、と評されているようです。紀年名は「嘉暦三年戊辰(1328)閏八月二十八日」。板碑の高さは102㎝、幅55㎝、厚さ15㎝の大きさで、角間川の成立とこの地域の仏教文化の考察における貴重な文化財であるとされています(以上、史跡標柱より)。板碑中央に線刻の仏像、下部に花瓶と蓮台、その下に紀年「嘉暦三年戊辰閏八月二十八日」と刻まれているらしいですが、現物は良く見えるという状態ではありません。板碑は境内にあり、屋根と壁に囲われガラス越しに見ることができます。

参考文献

  • 秋田魁新報社企画部『秋田のお寺 大曲・仙北』秋田魁新報社、1978年、pp.176-177。
  • 秋田叢書刊行会編「雪出羽道・上」『秋田叢書第5巻』秋田叢書刊行会、1933年、pp.104-113。
  • 大曲市昔を語る会連絡協議会『大曲市の歴史散歩』大曲市・大曲市昔を語る会連絡協議会、1977年、pp.100-119。

宝亀山喜福院の場所